この秋をスタートに、長年テーマを持って取り組んでいくデュオを結成した。

一回のみのステージではなく、継続していくことでどんな演奏会をシリーズにして行きたいのか、
ヴァイオリニストの彼女と、お気に入りのイタリア料理に赤ワインをかたむけながら、よく遅くまで語り合ったものだ。

ふたりで弾きたいレパートリーを書き出してみたら一晩のプログラムではとても納まらず、
一週間連日演奏会が組めるほどの曲の数が出揃った。

そうして夢を語っているときがまた何よりドキドキと楽しいひとときだ。

今回のプログラムは、バロック・古典・ロマン派と、いずれも名曲であり、香り豊かでダイナミックな曲目だ。

その中でキラリと光るシマノフスキの「神曲」がある。

シマノフスキはポーランドの人でステキな作曲家だ。

イタリアへたびたび訪れ、イタリアは彼の精神的な故郷となる一方で、
フランスのドビュッシーやラヴェルの影響を大いに受け、印象派の作風を持っている。

「神曲」は「ヴァイオリンとピアノのための三つの詩曲」である。

シマノフスキがイタリア・シチリア島のパレルモで古代芸術に触れ深い感動を受け、
1915年にギリシャ神話をもとに作曲した。

一曲目「アルトゥーサの泉」、アルトゥーサは水の精。

川の神アルフェウスに恋されてシチリア島に逃れ、そこで泉に姿を変えてしまう。

でもアルフェウスはあきらめきれず、なんと地の底を通ってシチリア島にたどり着き
アルトゥーサの泉に情熱を注ぎ込むという物語。

二曲目「ナルシス」、ナルシスはギリシャ神話の美青年。

彼に恋をする多くの乙女や妖精たちに目もくれず、泉に映る自分の姿に恋してこがれ死に、
その姿は泉のほとりの水仙の花となる。

三曲目「ドリアデスとパン」、ドリアデスは森の精たち、森の魔神パンとの妖しく美しい夜の森のお話。

今回演奏するのは「ナルシス」。静かでなめらかな水面を思わせるピアノの響きから始まり、
やわらかく美しいヴァイオリンがナルシスを表現する。

瞑想的で情熱を秘めた美しい曲だ。

イダ・ヘンデルというポーランドの女性ヴァイオリニストの古い録音でこの曲を初めて聴いた時、とりこになった。

彼女の自然体の音楽の美しさ。

「演奏家が作品の前に立ちはだかってはいけない。

演奏家はただひたすらに素晴らしい作品を再現するために存在する」という彼女の信条に触れ、心が洗われる。

夏目漱石の「夢十夜」の第六夜を思い出した。

夢の中、護国寺の山門、明治の人間ばかりの見物人の中で、鎌倉時代の彫刻家・運慶が、仁王を彫っている。

あたりに目もくれず一心に。

運慶が木に槌(つち)を打ち下ろすたび、仁王の顔が浮かび上がってくる。

感心して見ていると、となりの男が「あれは仁王の眉や鼻を作るんじゃあない。

あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、のみと槌で彫り出すまでだ」という。

演奏することも同じに思う。

一音も出さない楽譜に眠る作品の、姿、響きを、彫り起こしあるがままに奏でることが、演奏者なのだ。

第六夜、最後の一行が好きだ。

「それで運慶が今日まで生きている理由も略(ほぼ)わかった。」と。