ベートーヴェンは1802年、32歳のとき、ピアノソナタ17番「テンペスト」を書き上げる。
弟子のシンドラーがこのソナタを理解する鍵を与えてほしい、とベートーヴェンに聞いたところ、
彼は「シャイクスピアの”テンペスト”を読め」と答えた。
幻想的で大胆な曲の始まり。
暗く劇的で緊張感に満ちている。
「自分はこれまでの作品に満足していない。
これからはまったく新しい道をゆくつもりだ。」
--- ベートーヴェンの再出発のときでもあった。
シェイクスピアは、貧困と絶望のどん底のときほど喜劇の名作が次々に生まれ、
幸福の絶頂のときに、あの四大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」を書き上げたという。
そしてその後シェイクスピアは、それまでのスタイルではない新たな境地を求めて「テンペスト」を書いた。
悲劇で始まる物語だが、従来の、すべての主要人物が死んでしまう悲劇と違い、ここでは誰一人死なない。
妖精が存在し、主人公のミラノ王自身、魔法のマントを身にまとえば妖術が使えるという、
現実世界から飛躍した幻想世界にありながら、物語の流れは、
陰謀にあって漂流した王が晴れて現職に復帰するという現実と、折り合っていく。
ここでは”幻想と現実”の融合があり、全編通して聴こえてくる絶壁に打ち寄せる海の白いしぶき、
そこに立ち尽くし復帰を誓うミラノ王の姿に”自然界と人間”の歩み寄りを感じる。
聴覚をほとんど失い、人生に絶望したベートーヴェンが1802年秋、ハイリゲンシュタットで遺書を書く。
あの「ハイリゲンシュタットの遺書」はまさに、彼のそれまでの野心や絶望に訣別し、
自ら求め続けた「幻想」を現実の自分と融合させて、頭を高く強く生きるという声明文ではなかったか。
そこに、シェイクスピアにおける「テンペスト」の存在と、「ハイリゲンシュタットの遺書」が私には重なって見える。
「テンペストソナタ」の二楽章は、左手にドラムのリズム、右手にホルンの響き。
ドラムは生きていく心臓の鼓動となり、ホルンの響きは調和に満ちる。
田園のなか散歩しながら、聴覚を失った無音の世界のベートーヴェンが幻想世界に身をゆだね、
ハミングしながら、今ある自分に静かに歩み寄って行く穏やかな調べとなって、私の心に響いてくる。