リサイタルの曲目を組み立てる時間は、何ヶ月にも渡る悩みでもあり、またその期間中ゾクゾクする喜びでもある。
二時間近い一晩のステージのために、半年も一年も前からプログラムを考える。
ドラマをどのように展開するかを考えるシナリオ作家のように。
エンディングに向けて導入からクライマックスへイメージを広げる舞台監督のように。
演奏会の行われるホールの雰囲気、その季節、その時間帯。
たとえば、日没前なのか暗くなってからなのか。
クライマックスとなるメインの曲はもちろん大切だが、オープニングの一曲目の選曲はもっと繊細なものだ。
本番の日が平日だとすれば、ほとんどのお客さんは、通常の業務を演奏会に赴くために手早く済ませ、
時間に追われ、ゆっくり夕食を楽しむ間もなくあわただしく会場に駆け込む。
「今日一日お疲れさま」「ホッと一息和らいで」の思いの伝わる、ウェルカムワインの一杯のような、
リラックスのオープニングにしたいと思う。
この冬に、私が準備しているリサイタルのプログラムの一曲目は、そんな想いを込めたシューマンの「アラベスク」だ。
5分ほどの小品だが、この曲は、黄昏てやがて闇の訪れとともに夜空に光る一番星のような、”一粒のダイヤモンド”。
私の心の宝箱にしまってある大切な小品のひとつだ。
そんな小品を弾くとき、きまって瞼に浮かび上がるイメージ、心に思い浮かべる物語がある。
ドイツの作家ヘルマン・ヘッセの短編集「メルヒェン」の中の”アウグスツス”だ。
うら若き未亡人がお腹の赤ちゃんの将来を憂いでいると、隣に住む不思議な老人が彼女にプレゼントをする。
「何かひとつあなたの望みをかなえてあげよう」。
悩んだ母親は、赤ちゃんが生まれる寸前に叫ぶ、「ああ、誰もがおまえを愛さずにはいられないように!」。
やがて美しい少年アウグスツスは、たくさんの人の愛を一身に受け、傲慢な若者に育ち、
何をやっても咎められることなく手に入らないものはなく、空虚に退廃した生活を送る。
彼は生きることにさえ飽きてすべてを精算し自殺を考えたとき、不思議な老人が現れる。
そして”もう一度生きよ”と魔法を解く。
アウグスツスはそれを望み、力を失い、それまで彼に翻弄された人々は口々に彼を恨み、攻め立て、彼は牢獄に入る。
罪を償ってすっかり老人となり、しかし満ち足りたアウグスツスの前に再び現れる不思議な老人。
老人は、言う。
「アウグスツス、おまえの目はたいそうきれいになった。
幼い頃見たように天使の踊りをもう一度見たいと思わないか?」
感じやすい子供の感覚となったアウグスツスの目の前で、無数の輝く天使が喜ばしげに空中で舞い、
美しい月光のような銀色の音楽が漂ってくる・・・・・。
私の”メルヒェン”を、日々の疲れから駆け込んで来てくださったあなたに、届けたい。