「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
人生の盛り、能の盛りの時期から、円熟に至る時期の奥義を説いた世阿弥の「風姿花伝」。
思いの深い一冊である。
23歳、ジュリアード音楽院留学直前のレッスンの日、我が師が岩波文庫の薄っぺらい一冊の本を持っていきなさいと言った。
その本が世阿弥の「風姿花伝」だった。
当時の私には、禅問答のような??の内容だったが、言われるままにそばに置いた。
その後、悩むことのあるたびに何気なく開いたこの本に私の好きな言葉がある。
「時分(じぶ)の花」と「まことの花」。
世阿弥曰く、年齢相応に美しさがあり、そのままで芸になる「時分の花」。
ところが姿も声もたちまち移ろい、時分の花がうせてしまったのち、幽玄な美しさを舞台に「花」としてとどめる-----それが年齢をこえきわめて得ることのできる「まことの花」と言う。
これが世阿弥の命題だ。
彼曰く「まことの花」を得ているのかいないのかは、40歳前後だ、どんどんだめになっていく人は、「まことの花」がなかったとわかる証拠だという。
なんと恐ろしい言葉だろう。
「まことに得たりし花」は、”散らなかった花”として、30代、40代の厳しい研鑽と、40代以後の油断のない精進によって保たれたものであると言う。
咲くべき「時」を得て咲くゆえに新鮮、面白さ、珍しさ、それが「秘すれば花」だと言う。
ただ、それは、”能ある鷹は爪かくす”の物惜しみではないと思う。
<花>の秘めたものは、さとりであり「達成者の寡黙」と言える。
10数年前、長女に離乳食をあげながら、次女をお腹に宿していた頃、ピアニストとしての自分とはほど遠い毎日を送っていたとき、父が私に言った。
「百合子さん、”秘すれば花”と言うが、それは”謙虚な美徳”ではない。
イザというときのため、精進し続ける戦闘体勢にいつもあることではないだろうか。
ここぞという時咲くからこそ”秘すれば花”なのではないか。」
ずっと私を支えてくれた言葉である。
結婚後、3度転勤が続きやっと東京に居を構え、40歳を過ぎて、世界の3大音楽市場とも言える東京デビューを果たしたこの5月、私の思いは「秘すれば花」だった。
演奏後、今からこれ以上の自分はないと思えたとき、何も言う言葉の残らない”寡黙状態”だった。
そんな私に、さらに我が師曰く
「偉大な演奏家になるかは貴方自身の責任下にある。実力は上がるか下がるかのみ。Never stay the same.」
だから”まことの花”の道は続くのだ。